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太閤秀吉が好んだ温泉、有馬温泉
神戸の奥座敷といわれる有馬温泉は、兵庫県神戸市北区にある日本三古湯の一つです。
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有馬温泉の守護神である温泉神社の縁起によると、源泉が発見されたのは、神代の大已貴命(おおなむちのみこと)と少彦名命(すくなひこなのみこと)の二柱の神であるとされています。この二神が有馬を訪れた時、傷ついた三羽のカラスが水たまりに浸かっていました。その浸かっていた水たまりが温泉で、三羽のカラスの傷はきれいに癒えていたといいます。二神に温泉のありかを教えた三羽のカラスだけが有馬に住むことを許され、この三羽のカラスのことを「有馬の三羽からす」と呼んでいます。有馬温泉の名が一般に知られるようになったのは、第34代舒明天皇(593〜641年)、第36代孝徳天皇(596〜654年)の頃からです。その後幾度かの火災に見舞われ、有馬温泉は大きなダメージを受けました。そして、豊臣秀吉が明智光秀を破り、柴田勝家、織田信孝などを次々と破り、天下統一に向かって順調に滑り出していた時、長く続いた戦いの疲れを取るために有馬温泉を訪れました。秀吉は大変有馬の湯を気に入り、いろいろな災禍を受けた有馬温泉を援助します。秀吉の有馬温泉におこなった主な業績で特筆すべきは、慶長2(1597)年に始まった大規模な改修工事です。改修工事のおこなうきっかけとなったのは、前の年に関西地方を襲った慶長伏見地震です。建物の被害も相当なものでしたが、有馬温泉にとって一番の問題は、温泉の温度が上がってしまい、熱湯となったことです。秀吉の湯治に対する思い入れは並大抵ものではなく、有馬温泉を愛する気持ちが高じて大規模改修へと向かっていったといわれています。秀吉によっておこなわれた改修工事以降、有馬温泉は350年間一度も泉源の改修工事はおこなわれていません。このことからも、とうじおこなわれた工事が、有馬温泉にとってどれだけのメリットをもたらしたのか、計り知れないものがあります。しかし、当人の秀吉は改修工事後の有馬温泉につかることなくこの世を去ってしまいました。最近、太閤の湯として人気が復活してきた有馬温泉へは、交通アクセスがよく、京阪神からは1時間くらいで行けます。バスの便もたくさんあり、主なJRの駅、宝塚や芦屋、三宮、大坂からは直行バスも運行されています。都会から1時間ほどで自然豊かな有馬温泉を満喫できるのです。また、近くには六甲山もあります。六甲山から見る神戸の夜景は、旅のいい思い出になることでしょう。